日々思うこと

長崎の原爆投下から78年のその後

戦争にまつわる話・・・都内在住の、ある女性の投稿が目に入りました。

「被曝 亡くなるまで苦しみ抜いた両親」という題名に、73歳という女性の年齢が私に近いこともあって、興味が湧いたのです。

その女性には、幼い頃の忘れられない光景があると言います。

冬、石油ストーブの火を見ると、父が突然、ストーブを蹴り倒し、裸足のまま家を飛び出すことがあった。母は倒れたストーブもかえりみず、父を追いかけた。畳や布団に燃え移る火を、2歳上の兄と必死で消しとめた」

「家を飛び出した父が川に飛び込もうとしたこともあった、と後になって知った」

・・・びっくりするような体験ですね!

その女性の父親は長崎市出身で、市内の造船所で勤務中に被曝した。

被曝直後、自宅に戻る道すがら、倒れた人たちに次々と足をつかまれ、「水、水」と言われたこと。死臭が街一体に漂っていたこと。2歳の息子が鼻血を出し、苦しみながら泣き叫んでいたこと。

・・・辛い体験がトラウマになり、ストーブの火を見てフラッシュバックしたのですね。

父親はストーブを蹴り倒すだけでなく、精神的に不安定になると、その女性に理不尽に手をあげることも少なくなかった。

原爆が父を苦しめている」・・・子どもながらに、そう感じたそうです。

また、背中にケロイドがあった母親は、病院で看護師に見られることさえ恐れていた。亡くなるまで、偏見に怯え、苦しんでいたと。

現在73歳のその女性は、自身は戦争を体験していないはず。

でも、その両親の苦しみから、何をしていても自分が否定されているという思いを抱えて生きてきたというのです。

原爆投下は、その後78年経った今も人々を苦しめ続けているという現実。

いったいどれだけの人が、どんな思いで生きてきたのでしょう!何も知らない自分に、ある意味不甲斐なさを感じました。

⭐️今日からセザンはお盆休み。台風7号の接近が気になりますね、また月曜日に投稿します。

アッツ島の玉砕前のページ

お盆休み〜迎え火を焚いたのに〜次のページ

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP