昨日のブログの続きです。やはりシスター渡辺和子さんの「よりよい生き方を選ぶ」からの抜粋。今日はちょっと重い話です。
「自由に生きるということは、好き勝手をすることでは決してなくて、“よく生きる“自由を行使することなのです」
その一例に、ある人の一文が載せられていました。
「心理学者で精神科医でもあったヴィクター・フランクルが、自己のアウシュビッツ収容所体験から著した『死と愛』という本の中に書いています。
『人間の自由は、諸条件からの自由ではなくて、それら諸条件に対して、自分のあり方を決める自由である』
収容所に送られた人々は、ナチスによって持ち物も家族も何もかもを剥奪され、連日死の恐怖と苦悩の中に生きねばならないという、人間の極限状態に置かれていました。
その中で、ある日病人が出た時のことです。翌朝、その病人の枕元には数個のパンとスープが置かれていました。
病人の快復のために自分たちは空腹のまま、パンを置いて仕事に出て行った『自由人』たちの仕業だったのです。
自分の“生きる力“となる糧を、“よく生きる力“によって、“友に与える自由“を行使したのでした」
・・・なんとも言えない崇高な気持ちになりませんか?
そんな状況であっても・・・あるいはそんな状況だからこそ、人はそんな行動が取れるのものなのでしょうか?
現在の日本という環境で生活している私にとって、アウシュビッツ収容所の状況は想像することもできません。
・・・が、「人は極限に置かれても『より良い生き方を選ぶ』自由を与えられているのだ」と、改めてひとりの“人間“として、誇りを持とう!と思えたことでした。
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