いい話

大震災から9年〜いろんな人が傷ついていた〜

2011年3月11日の東日本大震災から9年。この時期になると、毎年テレビ、新聞などで、取り上げられます。

被災された方、家を無くした方、大事な人を失われた方、、、様々な人が、様々な思いを抱えて生きている、、、簡単にコメントなど出来ないなぁと思います。

そんな中、こんな新聞記事に出会いました。

その日の午後3時半ごろ、消防職員だったある男性は、沿岸部にかけつけ、住民を高い場所へと誘導していた。目の前で住宅街が波にのまれた。

「まだ家に子供がいます。助けてください!」

泣き叫ぶ女性がいたが、目の前の人たちを助ける以外に選択肢はなかった。

翌日、一変した街を歩くと、ひしゃげた家屋から次々と遺体が見つかった。外へ一人ひとり運び出し、「収容してください」とメモを残した。

「あれは、自分が見捨てた人たちではなかったか」

不明者の捜索が一段落した数ヶ月後、自問自答の日々が始まった。寝つきが悪くなり、職場でアンケートを受けると、精神科の受診を勧められた。

うつ病と診断され、通院を続けたが、3年後、めまいや耳鳴りに襲われ、吐き気で食事もとれず、体重は10キロ減った。震災から数年後の春、男性は定年を前に退職した。

「同じように苦しんでいる同僚や警察官がいる」

というのが、今回取材に応じた動機だという。それでも、記事になることを恐れた。

「被災者を差し置いて消防の人間が心の問題を語るのは心苦しい」

と。

あるいは、地元の記者として震災に遭遇したある女性。

児童ら84人が犠牲となった大川小を取材し、学校の対応を批判した。後日、亡くなった教職員の一人が高校の同級生だと知った。人目をはばかり、葬儀さえまともにできなかったと知人に聞かされた。

報道の仕事に無力感を覚え、会社を辞めた。

別の道をと東京に出たが、住宅街を歩いていると突然、がれきに覆われた街が脳裏に浮かぶ。遺体安置所に続く薄暗い通路を歩いている夢を見る。パソコンに向かっているのに、安置所で目にした、袋に入った子どもの遺体が頭から離れなくなった、、、

こんな人達がたくさんいるのですね〜

職務を果たせなかったという、罪悪感や無力感。

そして、家族を失ったり、大事な人を失ったりしている人を思うと、

「自分のような立場の人間は弱音を吐いてはいけない」

と思ってしまう。そのために、表面化しにくく、孤立感が深まっていく、、、

いわゆるPTSDに苦しんでいる人たちがたくさんいる現実。

「誰かに言えること」「誰かが聞いてあげられること」が、大切なのではないか、、、そう、思います。

何か出来ることがあれば、、、微力ながら、切にそう思います。

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