NPO「ペシャワール会」の現地アフガニスタン代表、中村哲医師73才。
アフガニスタンの支援に30年以上、医師の枠を超え、農業支援にも力を尽くした人。
ご本人いわく、「最初から貧しい人を助けようと思っていたわけではありません」と。
きっかけは「珍しいチョウが見られるかもしれない」と言うことだったと言います。少年時代から昆虫が好きだった中村さんは、チョウに惹かれて1978年にパキスタンに。
現地では、医師が来ていると知った人たちに、その場しのぎの診察しかできず、
「村々で歓迎されると、釈然としない後ろめたさが、かえって増した。その体験が原点となった」
のだそうです。
1984年にはアフガン難民の診療に。2000年の大干ばつからは、井戸を掘り、干ばつにあえぐ大地に用水路を造った。
清潔な水と食糧があれば治る病気でも、干ばつのために亡くなる人が急増することに、
「とにかく生きておれ。病気は後で治す」と。
アフガンの人のために全力を尽くすのだという気概、そして人に対する愛情の深さには、感じ入るものがあります。
その中村哲さんが、12月4日に亡くなりました。何者かに襲われ、突然の銃弾に倒れて。
何ということでしょう‼️
「この仕事が新たな世界に通ずることを祈り、真っ白に砕けちるクナール河の、はつらつたる清流を胸に、来る年も力を尽くしたいと思います」
これは、銃弾に倒れたその4日付で刷られた、ペシャワール会事務局の会報です。
なんと清々しい、まっすぐに未来に向かう宣言でしょう‼️
中村哲さんの偉業、そのお人柄に触れて、同じ日本人であることに、心から誇りを持ちました。
そして、もうひとつ、私にとって衝撃的だったことがあります。
それは、ニュースの画面での娘さんの姿です。
訃報を受けて現地に駆けつけた奥様と娘さん。倒れ込みそうな母親を抱きかかえていた娘さんが、カメラに向かって、こう言われました。
「父がどれほど現地の皆様に受け入れて頂いていたか、痛感しています。」
「本当にお世話になりました。ありがとうございました。」
と、深々と頭を下げられたのです。
その姿に、わけもなく目頭が熱くなりました。
ご家族なら恨む気持ちを持って当然なのに、それは、心から出た感謝の言葉でした。
お父様の生き方を目の当たりに見てきた娘さんにも、確実に受け継がれている「精神」を感じました。
そして、中村さんと共にアフガンのために闘ってきた人たちに、その「精神」が伝わらないわけはない‼️と強く思いました。
中村哲さんは亡くなっても、その「精神」は、間違いなく多くの人に受け継がれていくに違い無いと、信じます。
道半ばにして、ご本人もまわりの方々も、さぞかし無念の気持ちでいっぱいのことと思います。
でも、人はいつ終わりの時が来るか、分からない。
自分が死んでも、その「精神」が確実に次の人たちに受け継がれていくとしたら、これこそ理想の人生ではないでしょうか。
とてもとても、足元にもおよびませんが、「こんな生き方ができたら!」と、夢が広がった、68才の私です(^^)
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