そういえば・・・と思い出したのは、2008年、秋葉原で起きた無差別殺傷事件。その動機も分からないままたくさんの方が亡くなり、何とも衝撃的な事件でした。
その犯人の加藤智大死刑囚に、7月26日死刑が執行されたというのです。
新聞記事の中で印象的だったのは、事件当日、被害に遭われたタクシー運転手、湯浅洋さんのメッセージ。
「あの日、秋葉原でタクシーを運転中、トラックが突っ込む現場に遭遇した。車を飛び降りて、倒れた男性を介抱していると、後ろかたナイフで刺された。意識が戻ったのは4日後だった」・・・全くの被害者ですよね。
ところが、「加藤死刑囚は長男と同世代でもあり、恨む気持ちは起きなかった。どんな人物なのか、動機な何なのかを知りたいと思った」というのです。へぇ〜そうなんだ。
湯浅さんは東京地裁の公判を傍聴し、拘置所にも足を運んだ。手紙も7通出し、「もっと君を見せてもらえませんか」と語りかけた・・・恨んでも当たり前なのに、すごいことですよね〜。
その湯浅さんに、2011年加藤死刑囚から手紙が届いた!
「どうしたらいいのか、まだわかりません。いずれお会いしなくてはいけないとも考えております」とあったそうです。それって、加藤死刑囚が、初めて人に心を開いたのでは?と思えるようなことですよね。そこまでのことができたって、本当にすごいこと!
ただ、会うことは叶わず、死刑が執行された・・・。
「両親も同僚も信頼できず、さみしかったはず」・・・湯浅さんには、加藤死刑囚が安倍元首相の銃撃事件の山上容疑者と重なってみえたようです。
「2人とも孤立していた。犯行前に誰かと話せたら、事件を起こさずに済んだのではないか」・・・
そうなんですよね〜。こんな事件が起きるたびに私も同じことを思います。
「誰か、話を聞いてあげられる人はいなかったのかな〜」「誰でもいいから、ひとりでいいから、そんな人が側にいれば」・・・と。
でも今回は、また別のことを思いました。
その新聞には、加藤死刑囚の元同僚など、身近な人の話も載っていたのです。
その人たちは皆さん、異口同音に「なぜもっと寄り添って挙げられなかったのだろう」と、自分を責めていた・・・。
そうか〜。ニュースを聞いて「誰かが聞いてあげれば良かったのに」と思うのは、まさに他人ごとだからですよね。
身近な人ほど、今回の死刑執行のニュースを、辛く、重く、受け止めておられることでしょう。そこにはいろんな人の気持ちがありますね。
簡単に批判するのではなく、日常に「人の話を真摯に聞くこと」を心掛けたいと、改めて思いました。本当に微力だけれど・・・。
今日は8月1日。月曜日から重い話にお付き合い頂いてごめんなさい。
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