思わず目を止めたのは、私の同じ70歳の女性の新聞の投稿。
それは、「家電の寿命」の話。
「ある家電が動かなくなった。10年も使ったので壊れても当たり前と処分し、新しい物を買った。
ところが買い替えた直後、動かなかった理由が我が家の電気の配線トラブルだったと判明した。
すると、急に後悔にとらわれるようになった。
『買い換える必要がなかったのに無駄な出費をした』と言う後悔ではなく、『まだ動くのに、生きていたのに、何のためらいもなくゴミとして捨ててしまった、天寿をまっとうさせてあげられなかった』と言う申し訳なさだった」
あぁ、分かる気がします〜。物にも気持ちがあるように感じることってありますよね。
「これまでも、まだ使えるいくつかの家電を、より機能的な物にと買い替えてきたが、便利さを喜び、後悔はなかった。それなのに、何なのだ、この後悔は?と最初は戸惑った」
「本当はわかっている。私自身が老いたのだ。家電の『寿命』すら、家電ごととは思えない年齢になったのだ。老いたものの死に様を考える日々である」
・・・そうか〜、そういうことなんだ〜。
同じ70歳の女性の心境に、妙に感心してしまいました。
生きものだけでなく、「物」にも愛おしさを感じるとしたら、年を重ねるって悪いことじゃないな〜・・・などと思ったことでした。
自分をほめられる年の重ね方ができるといいですね〜(^ ^)
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