振り返り

明治生まれの義父の思い出

つい昨日、ふと思い出したことがあります。

もう45年ほど前のこと。懐かしいな〜

私はまだ24歳。いやいや若かった〜笑

嫁ぎ先の義父(当時70代)とは年齢差もあり、私の父とは正反対の学者肌で、とても近寄りがたい存在でした。

佐賀県出身で、自称「葉隠れの精神」の持ち主の義父は、どうかすると男尊女卑。

「女の子なんか大事に育てても嫁に行ってしまうだけ」・・・と、4人の息子たちが大事で大事で、それはそれはご自慢でした。

そんな、近寄りがたかった義父の印象が、激変するできごとがあったのです。それは・・・

私は今も昔も車の運転が大好き!

「ちょっと桜、見に行こか!」とか「紅葉がキレイやから〜」とか言って、しょっちゅう誰かを乗せてドライブしていた母もまた、車の運転が大好きでした。

・・・そんなこともあって、結婚前に母と2人で関西から東京まで、荷物を積んで車を運転して行った時のこと。

明治生まれの義父は、「女性が車の運転をするなんて信じられん!」と言うような年代。自分も運転はしない。

そこへ、お嫁さんと母親が、関西から車を運転してやってきた〜

それはそれは、晴天のヘキレキ‼️ひょうたんからコマ‼️

ちょっと違うな〜 こう言うの、なんて言えばいいんだろう〜笑

とにかく、義父の人生、これ以上無いぐらい驚いた。

「ホーッ、関西からですか⁉️」

鳩が豆鉄砲とは、このこと!泡ふいてたかも?

普段はしかめっ面の義父が、目を点にして、口をあけて、キョットーン・・・しばらくは口もきけなかった〜笑

そりぁ驚きますよね〜(笑)その表情の可愛かったこと!(失礼〜)

そして、後日談。

あんなに男の子が大事なのに、長男の嫁である私は期待を見事に裏切って、産まれた孫は3人とも女の子。

特に3人目も女の子だった時には、「大丈夫、そのうち男の子が産まれるから」と。

「エーッ、まだ産むのぉ?」と、産後すぐにのけぞった覚えがあります(笑)

ところがどっこい、その三女のC子が可愛くて可愛くて・・・

夕食後には必ず「○○子ちゃん、遊びましょ〜」と声がかかる・・・

庭にゴザを敷いては寝転がり、C子をそばに置いて「♫晴れた〜るそ〜ら〜のほしを〜みよ〜♫」と、調子はずれの歌を歌う・・・長調の曲が、なぜか物悲しい短調になる(笑)

あ〜ぁ、本当に懐かしい〜 その声がそこに聞こえるようです。

「女の子なんて」と言っていた義父に、私自身も初めての女の子として、ほんと〜に大事にしてもらいました。

ありがたかったな〜 感謝してます。

あれからいろいろあって離婚したけれど、知らないよね〜(笑)

でも、C子もみんな、幸せにしていますよ、お義父さん❤️

母と祖父母へ恩返しの夏前のページ

義母の思い出次のページ

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP