小津安二郎さんといえば、家族を描いた映画で知られた監督。
原節子さん、笠智衆さん・・・懐かしくて穏やかな、日本の家庭を彷彿とさせる映画の数々で有名。
・・・そんなイメージだけを持っていたけれど、NHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組で、初めてその生涯を知りました。
高校時代から1年に40本の映画を観て、映画に対する批評を書いたりと、相当鼻っ柱が強かったらしい。
監督昇進のチャンスが来たのはカレーライスをめぐる大ゲンカからだったというのも、激しい性格を象徴している。
「家族を描いた、穏やかな人」というイメージとは真逆だなぁ。
そして、働き盛りで届いた召集令状。過酷な日中戦争で見た地獄。戦場で再会した親友の山中貞雄監督。
28歳にして戦死した彼の、映画に対する真摯な姿勢が小津監督の作風を変える。
戦後陥ったスランプの時、彼を救ったのは、脚本家の野田高梧さん。
その家族との不思議な共同生活がその後の小津作品の源だったと。
小津監督の人生に大きな影響を与えた人が存在したのですね〜
「家族」を撮り続けた彼が、生涯独身だったということも、初めて知りました。
「小津調」と称される独特の映像世界で優れた作品を次々に生み出し、世界的にも有名な小津安二郎さん。
この世を去ったのは60歳の時だったと。
一番驚いたのは、その知名度、業績、そして晩年の落ち着いた風貌から、私よりず〜っと年上だったと思い込んでいたら・・・
なんと、8歳も年下だったこと‼️
あぁ〜びっくりした〜笑
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