1月17日は阪神大震災から25年!
もう四半世紀が過ぎたのですね〜
生まれも育ちも関西、その当時は両親も祖母も関西に住んでいたので、ニュースの画面を見て凍りつきました。
しばらく電話もつながらず、実家は古い日本家屋だったので、もうダメかも知れないと思ったことを思い出します。
その時は仕事を始めて4年目。仕事と子育てで、いっぱいいっぱいの時期だったな〜
あれから25年か〜と、その間の自分のことを思っていたら、目に飛び込んで来たのが
「4歳で1人に 周りの支えで」
の新聞記事。
神戸市のS・Oさん、29歳。震災当時は4歳だった。長田区の自宅で被災。両親と幼かった兄は全員命を落とした。
祖母に引き取られての生活。ある夏の日には
「家族が生き返りますように」
と七夕飾りの短冊に書いたそう。
あ〜、幼い彼はどんなに寂しかったことかしら。心が痛みます。
中学生になるころまでは心がすさんでいた。自分を呼び捨てにした同級生を呼びつけたり、時には手を出したり、、、きっと、両親がいない弱みを見せたくなかったのでしょう。
中学2年の時、祖母が癌でこの世を去ってまた独りになった。そのまま祖母と暮らした家で、一人暮らしを始めた。
学校で昼食にパンを買って食べていると、それを知った同級生の母親が「1個も2個も同じよ」と言って、毎日お弁当を作ってくれた。
担任の先生は、遅刻がちになった自分の家に、毎日のように電話をかけて起こしてくれた。時には「朝起きられない生活ではダメだ」と叱ってもくれた。
落ち込む姿を見て、親戚がUSJに連れて行ってくれたこともあった。別の親戚は晩ご飯の用意や洗濯もしてくれた。
あ〜、周りの人たちの気持ちが伝わってきます。何かしてあげたくなりますよね〜。そして、どれほど彼の心が温かくなったことでしょう‼️
「早く自立しないといけない」
と思った彼は、私立よりお金のかからない公立で就職率の高い、工業高校を選んだ。高校ではサッカー部で主将を務め、卒業後は川崎重工業に勤めて、今も活躍しているとのこと。
「親戚や先生、友人、その家族。今があるのは、周りの支えがあったからと、心から思う。」
「今、夢がある。いつの日か、自分と同じように親のいない子どもたちの力になりたい」
「お世話になった人だけでなく、もっと多くの人に感謝を返していきたい」
と。
あぁ、素晴らしいな〜。周りの方々も、さぞかし喜んでおられることだろうな〜。
これからの彼の人生が、より豊かで幸せなものになりますようにと、心から祈ります。
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