フォトジャーナリストの安田菜津紀さんのお父さんは、新橋でうなぎ料理屋を構えていた。口数が少なく穏やかな人だったとのこと。
安田さんが幼稚園の頃のはっきりと覚えている場面、それは・・・
「その日は父が早く帰り、母に代わって絵本を読んでくれました。私をひざに乗せてページをめくるのですが、すらすら読めず、つっかえます。私は『もういい!』と言って立ち上がり、言いました。
『お父さん、日本人じゃないみたい』。父はすごく寂しそうな顔で笑っていました」・・・
小3の時に母と離婚した後もこまめに電話をくれ、月に1度は一緒にご飯を食べたお父さんは、安田さんが中2の時に亡くなる。そのお父さんが韓国籍だったと知ったのは高2の時。パスポート取得のために戸籍を取り、父親の欄に「韓国籍」という文字を見つけたのだそう。
「すごくびっくりし、私が言った『日本人じゃないみたい』という言葉や、父親が何かを隠しているんじゃないかという感覚が、一気につながりました。不安定な生活のため十分な教育を受けられなかったこともわかりました。
父は自分のルーツを語りませんでした。もし今話ができるなら『そんなに一人で背負わなくていいんだよ』と伝えたい。隠さなくても私にとって父は父。苦しみを分かち合ってほしかった。
安田さんは、幼い頃に何も知らずに心ない言葉を投げかけたことを本当に後悔している。謝りたいけど、取り返しがつかないのだと・・・
あぁ、それは辛いですね〜 幼い娘に言われた言葉に、ただ寂しそうに笑っていたお父さん。知らずに傷つけてしまったのですね〜 キュ〜っと胸が切なくなります。
「在日コリアンをめぐる状況を今の世代として変えていくことが、私に託された役割だと思っています。それに早い段階で気づかせてくれたのは父の存在です。いろんな瞬間に『私は亡くなった父に突き動かされているんだな』と感じるのです」
辛い思い出があったからこそ、それをエネルギーに代えて日々活動されている安田さん。
その姿を、お父さんは嬉しそうに見守っておられることだろうな〜と想像しました❤️
世界中のあちこちで、消えることのない差別の問題、特に自分のルーツに関することは、どんなに人を傷つけることでしょう!
お互いに、辛い思いをさせることの無い世の中に・・・と心から願います。
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