11月18日のブログに書いた「13歳の中学生からの臓器移植について」の新聞記事を読んだ人から、後日、同じ新聞に投稿がありました。
宮崎県の72歳の女性。以下は、その文章の抜粋です。
「私は33年前に腎移植を受けた者です。13歳からの投稿『臓器移植・友達・・・中学生は考える』を読んで、とてもうれしく、また感謝に堪えません。
私は約8年間人工透析をし、39歳で移植を受けました。
術後の拒絶反応はつらかったけど、弟の大切な腎臓の片方をもらったのだから、何としても乗り越えねばと思いました。そして今、体調が辛い日もありますが、自分自身で動き、考えることができます。
私と同じ病院で同じ時期に腎移植を受けた小学生の少女は、勤めに出て結婚をしました。
私も、彼女も、提供者の英断が無ければ叶わなかった人生です」
あぁ〜、移植によって人生の可能性が開けたのですね〜
「だから、投稿者のような若い方が臓器提供に関心を持ち、真剣に考えてくださったことに心から感謝したいのです」
13歳の女子中学生の言葉に感動したのは、もちろん私だけじゃなかった!
「ちっぽけな私でも誰かの役に立つかもしれない。明日を生きたいと苦しんでいる人の救いになれるんだったら、意思表示しておきたい」
「ちっぽけな私でも誰かの役に立つかも知れない。明日を生きたいと苦しんでいる人の救いなれるなら」・・・
何度読んでも感動です。なんと純粋で気高い言葉でしょう‼️
移植を待っている人は、どんな気持ちで日々を過ごしておられるのか。その立場にならないと推し測れないこと。
「移植への関心が、多くの人に広がることを願っています」
前述の女性の言葉が、胸に沁みました。
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