NHKで放送していた終戦記念の特別番組。題名は「ひまわりの子供たち」。
原爆投下後の長崎で、GHQの指示を受け設立された戦争孤児収容施設、向陽寮。
寮長の餅田千代さんは、盗みや乱暴が染みついた孤児たちと風呂に入り、農家を回って少しの野菜を分けてもらい、“ひまわりの花“を育てては売りに行き・・・自立のために奔走していた。
育てられた戦争孤児は100人を超える。
千代さんを“お母さん”と慕う子どもたち。60年ぶりの同窓会に集まったのは、70代後半から80代の男性5〜6人。
口々に「お母さんと出会えたのが一番の幸せ」と言う。
けれども、当時向陽寮を卒業して就職し、社会に飛び出した卒業生たちを待っていたのは戦争孤児への差別や偏見だった。
勤め先で、お金が無くなるなどの問題があると、必ず疑われ、差別される・・・その中で生きていくには、お互いの連絡も取らず、戦争孤児であることを隠すしか無かった。
卒業生たちは、休みになっても帰る場所が無い。向陽寮に戻って泊めてもらうしかない。その度に“お母さん“は温かく迎えた。
差別されて居場所の無い卒業生は、またしばらく向陽寮に住まわせた。もちろんタダで。・・・そのことが役所の人に分かって、餅田千代さんは左遷される。
「お母さんがやったことの成果は、僕たちの人生そのもの。それを見もせずにお母さんを左遷させた人を、僕は許すことはできません!」と、80代の男性が声を震わせ、涙している。ずっと変わらぬ熱い感謝の想い。
今年、60年ぶりに開かれた同窓会で語られるのは、懐かしさと共に、辛かった過去。差別された体験は共通で、お互いに嫌というほどよく分かる。
実際に刑務所に入った人、自殺してしまった人も多い。
同窓会に集まった人たちは、その中でも幸せな人たちなのですよね〜
日本だけでなく、世界各地で今なお各地で続く戦争。そして必ず生まれる戦争孤児。何の罪も無い子供たちが、生まれながらにして過酷な運命を強いられる・・・
76年目の終戦記念日に、そんな事実から、改めて戦争の恐ろしさを思いました。
戦争体験の無い私が、何を感じ、何を伝えられるか・・・意識して目を向けないといけませんね。
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