例えば、、、、ずっと体の調子が悪いけど、原因が何なのか、分からない。
不安なまま病院を転々として、やっと病名がついた。
病名がついただけでまだ良くなったわけでも無いのに、なぜかホッとして気持ちが落ち着いた、、、そんな話を、よく耳にしませんか?
「これが原因だったのか」と分かったというだけで、人は安心するのですね。
また、どうしても苦手だと思う人がいたとします。
なんであの人はあんなふうなんだろう?
なんであんなことをするんだろう?
分からないうちは、ずっと変わらず苦手な存在。
ところが、その人の話を聞いてみたら、なぜそう思うのか、その理由が分かった。
分かったと思えたら、苦手だった相手が苦手じゃなくなる。どうかすると好きになる、、、不思議な現象ですよね。
究極は、すごくイヤな自分が見えた時。
自分に嫌悪感を持ち、もっと落ち込むかと言うと、決してそうではないのです。
たとえイヤな自分でも、分からないより分かった方が、見えないより見えた方が、知らないより知った方が、人は自分のことを認められる。
分かる、見える、知るということは、怖さから解放されることなのですね。
分かる、見える、知るということは、受け入れられるように第一歩。
受け入れられたら好きになる。
つまり「イヤな自分は宝物」
なのです(^^)
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