古い手帳の間から、すり切れた新聞の切り抜きが出てきました。たぶん20年以上前、繰り返し読んでいたなぁと、、、。良かったら読んでみて下さい(^^)
4年前の6月、夫が急逝した。混乱しながら葬儀に追われる非日常の数日間、3歳だった娘は、「お父さんはどこ?」と泣いたりせず、すべてを理解しているように見えた。
葬儀の翌日から夫がいない日常が始まった。朝、幼稚園に連れて行こうとしたが、娘は足を踏ん張り動かない。その時夫の友人から電話がかかってきて、私の目からまた涙があふれた。
娘は自分の小さなハンカチを取り出し、ぷっくりした手で私の涙をふきながら「お母さん、泣きたい時は泣いてもいいんだよ」と言った。けがをしたら我慢せずに泣いて知らせて欲しいと思い、私が娘によく言う言葉だった。
「お父さんはどうして死んじゃったの?とっても悲しいよ」とも言った。私は自分のことに精いっぱいで、父親の死について話しそびれていた。
今、7歳になった娘は振り返る。「あの時は驚き過ぎて、泣けなかったの」。子どもは親の一部ではない。あの時にはもう、一人前の心を持っていたのだ。
夫の命日と父の日が続く6月。私は娘の気持ちを見過ごしていないか、自分に問いかける。あの時、娘が涙を拭いてくれた小さなハンカチは、私のお守りです。
3歳の女の子が、「泣きたい時は泣いてもいいんだよ」というなんて!
小さなハンカチを取り出して、ぷっくりとした小さな手で、お母さんの涙を拭きながら、、、
その健気さに、何度読んでも泣けます。
小さな胸の中で、「いったい何が起こったのだろう」と、必死に闘っていたのですね〜
3歳の子どもでも、もう、ひとりの人間として自分と言うものを持って生きている、、、
シングルばぁちゃんとしては、同居している6歳と2歳の子供たちの気持ちを見過ごさないようにしたいと、改めて強く思いました。
この女の子は、この体験も糧にして、きっと優しく強く育っているだろうと想像しています(^^)
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