「私にとって震災で何が一番きつかったかというと、娘の部屋でカッターナイフと作業用ロープを見つけた時ですね」・・・
宮城県のYさんは津波で妻を失い、中学2年生と小学5年生と3年生の3人の娘を一人で育ててきた。
完全なママっ子だったという3女のSちゃんは中学生の時にリストカットを繰り返す。
震災から5年後に内陸部に家を建てて仮設住宅から移り住んだ。中学2年生になったSちゃんは、夏休み明けの始業式こそ出席したものの、翌日から学校を休むようになった。
朝、いくら体を揺すっても起きないし、自分の部屋の鍵を閉めるようになって、ごはんも家族と食べなくなって部屋の前に置いておくようになった。
ある時、長女から「腕を見たらすごい切れていたよ」と聞かされる。
確かにその年の夏、Sちゃんは長袖ばかり着ていた。「ちょっと見せてよ」と言って、Sちゃんの腕を見ると、両手にたくさんの傷があった。
Sちゃんの部屋のソファの横にカッターと作業用のロープを見つけた。ショックだった。
数日後、お父さんは「ここまで追い詰められていたのに気づいてやれなくてごめん」とSちゃんに謝った。
そして、動揺する気持ちを見せないように、続けた。
「ママだって、死にたくて死んだわけじゃない。お前たちが結婚して孫の顔を見るまで生きていたかった。
せっかくママからもらった大事な体なんだから傷つけちゃだめだよ。
またやりたくなったらパパの腕をやりなさい。いくらでも切っていいから」
Sちゃんは黙って聞いていた。
結局、2学期に学校に通ったのは2日間のみ。だが、父からその言葉を聞いたSちゃんが、再び自らを傷つけることはなかった・・・・・・
東北大震災10年の今年、新聞にあった記事です。
「またやりたくなったらパパの腕をやりなさい。いくらでも切っていいから」・・・
何度読んでも泣けてしまいます。
3人の娘さんを抱えたお父さん。必死で育てていらしたのですよね〜 娘さんのリストカットは、本当に辛かったでしょうね〜
そして、Sちゃんはどうしているのかな〜 今はもう高校を卒業しているのかな〜
どうぞ幸せでいてください・・・心から祈ります❤️
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