振り返り

父との生活

今日から少し字を大きめにしてみます。自分が読みにくいので。笑

さてここのところ、父を思い出しながら書いています。ブログっていいな〜と思います。

自分と向き合う時間が魅力で始めたブログでしたが、大切な人とも向き合えるのですね〜。確実に幸せ感が増しています。

さて、父の話、第3弾です。

8才年上だった父は、母が自分より先に逝くとは思っていなかったと思います。母はパワフルで病気知らずな人でしたから、なおのことですね。

ところが2006年の1月、お正月明けに、突然母が亡くなったのです。母が80才になる年でした。

前の日まで自分で運転してお友達と出かけて、夜は大好きなビールを飲んで、、、翌朝、台所で倒れてそのままでした。

発見した父はさぞかしショックだったことでしょう。誰もが驚きました。一番驚いたのは、亡くなった母本人かもしれません。

これから父をどうしよう〜。そればかりが心配でした。兄も私も東京、実家は関西。一人になった父を東京に呼び寄せようか、でも不慣れな場所での生活はどうなんだろう?と。

ところが父は偉かった。

それから丸3年、愚痴ひとつ言わず淡々と、一人の生活を、ある意味平然と、当たり前に送ってくれたのです。

母が亡くなってから父が亡くなるまでの3年間。これは私にとって宝物のような日々でした。

母のお葬式に始まって、お墓のこと、諸々の処理、日々の生活など、あらゆることを父と私で相談しました。そこで感じたのは、父の偉大さでした。それまでは、母が全ての窓口で、父と真摯に向き合うチャンスが無かったのです。

まさに「嘘をつかない」「人の悪口を言わない」「自分のことより人のこと」、、、その通りの生き様を見せてくれました。

そんな中に父が言ったこと。

「○○ちゃん(私)は、仕事がよう出来るやろなぁ。」

40才まで仕事したことの無かった娘が、一体どんな風に仕事しているのか、心配は尽きなかったと思います。

「父が私のことを認めてくれた」、、、それは、何よりの私の自信になりました。

母も突然でしたが、父も最後は、たった10日間の入院で旅立ちました。「(死ぬと言うことは)未知の世界やな〜」と言ったのが、私の記憶に残る、父の最後の言葉でした。

亡くなったあと、父の机の引き出しの一番上にあったのは、娘達に定期的に送ってくれていた、牛肉を送る宅急便の伝票。几帳面な字で、それぞれの住所を書いた伝票でした。

それを見つけて、ひとり大泣きしたことを思い出します。

父は今の私を見て、今も褒めてくれているでしょうか?

勝手な身内話にお付き合い頂いて、ありがとうございました。

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