昨日2021年6月3日は、雲仙・普賢岳の火砕流からちょうど30年。
私は、ある感慨を持って、そのニュースを聞きました。
1991年6月3日、43人の方が犠牲になった長崎県の雲仙・普賢岳で発生した大火砕流。
住民のほか、取材中の報道関係者や同行していたタクシー運転手、警戒にあたっていた地元の消防団員や警察官などが犠牲になり、これを教訓に火山防災や報道の在り方が見直されたと言われるほどの未曾有の大災害。
当時のテレビニュースに映る映像は、とても恐ろしいものでした。
吹き上がる噴煙、そして黒い濁流が家を、車を、人を飲み込んでいく・・・
思い出しても無惨な映像・・・
なのに、当時の私はホッとした気持ち、いえ、もっと言えば何か快感のようなものを感じていたのです。
なぜなのか?
それは、私自身が不幸だったから。いえ、世界一不幸だと思い込んでいたから。
1991年5月末、突然家を失い、娘3人と義弟の家に夜逃げ状態で転がり込んだ日から一週間と経たない時でした。
義弟の家族は本当に温かく迎えてくれたのですが、ジワジワと襲ってくる不安感、娘3人との、先の見えない生活、事実が全く分からない恐ろしさ・・・身の置き所の無いような状態でした。
今でも鮮明に思い出すのは、雲仙・普賢岳の火砕流の映像と、それを見ていた時の私の気持ち。
「不幸なのは私だけじゃない、もっと大変な目にあっている人がいる」・・・その事実がテレビ画面から伝わってきた時、私の心はある意味、癒されていた・・・つまり「人の不幸は蜜の味」だったのです。
なんということでしょう‼️
それを思うと、今、これほど豊かで幸せな気持ちに包まれていることに、私自身が驚いてしまいます。
あれから30年。今年70歳になる私は、「まだまだこれから!」「何があっても大丈夫!」と根拠のない自信に満ちて生きている‼️(笑)
「雲仙・普賢岳の火砕流から30年」のニュースに、改めて感慨を覚えている私です。
支えて下さった皆さまには、心から感謝申し上げます❤️
そして、「今がどんなに辛くて苦しい状況でも、生きてさえいれば大丈夫、人生はつながって行くから」と叫びたい気持ちです。
今週も充実した一週間になりました。皆さまもどうぞ良い週末をお過ごし下さい。また月曜日に!
なんて正直なひとでしよう。
子供の頃から両親や周りの人から沢山愛を受け物質的にも何不自由の無い生活を送ってきたあなたが想像も出来ない環境に置かれ
心も身体もボロボロになりながら3人の子供達と30年の月日を無駄にせず生きて来た事、本当に尊敬します。
そしてそんな友人を持てた事、神様に感謝です。
持てただけではいけないですね。私はいつもここで止まってしまう。残りの人生に活かさなくてわね。
ありがとうございます。
身に余るコメントに感激です
ますます30年の重みと有り難さを感じました。