昨日に続いて”お母さん”の話題です。
歌手の加藤登紀子さん(81才)は、第二次世界大戦の末期に旧満州のハルピンで生まれた。
1945年、日本の配線を迎えた時、対日参戦したソ連軍がハルピンに入ってきて、すでに出征して父親のいなかった加藤さん母子は、学校の寮だった収容所に入られたとのこと。お母さん、苦労されたのですね。
収容所にはソ連軍が来て、あらゆるものを略奪していった。
そんな中、加藤さんのお母さんは「逃げ出さず、彼らと向き合うべきだ」と考えた。
ボロボロの服を着たソ連兵たちに
「どこから来たの?」
「家族はどうしているの?」
とロシア語で聞くと、泣き出す兵士もいた。
お母さんは「人はどんなときも、あなたと私。戦争をしていたって、人間として向き合っていくのよ」と、よく話していたと言います。
自分たちの命も危うい時に、そんな考えを持たれていたお母様。素晴らしいですね。
加藤登紀子さんのルーツはそこにあるのだなぁと思いました。
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