これは、2歳9ヶ月で小児がんを発症。16時間に及ぶ手術を耐え抜き、入退院を繰り返し、8歳で天国へ旅立った結人(ゆうと)君のお話です。
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当時、ご両親は少しでもそばにいたいと、大阪の大学病院の近くに引っ越した。
結人君が退院した時、家の外からは同じ3歳くらいの子供たちの元気な声がよく聞こえてきた。でも、お母さんの亜紀子さんは「きっとあの輪には入られへん。別世界やわ」と思っていた。
でも結人君は、思い切って近所の子供たちに「一緒に遊びたい」と声をかけた。「いいよ!!」、、、そうして仲良くなったのが、同じ幼稚園に通う、はす向かいに住む匠人(たくと)君。時間を忘れて、仲良く遊べるようになった。
結人君のガンは一度は治ったが、小学校に入学した年の8月に再発。再び入院生活が始まった。
一時退院すると、匠人君は塀を乗り越え、ベランダから結人君を訪ねてきた。感染防止のために家には入らず、ベランダで窓越しに一緒にテレビを観ては笑い合った。(なんて微笑ましい光景でしょう〜)
翌年3月、退院して登校を再開。「おう、結人!」と、匠人君はいつもと変わらず迎えてくれた。
その後も入退院を繰り返した結人君は、小学3年の冬、とうとう8歳で天国へ旅立った。
お母さんは「結人をひとりにしたくない」と、紺色の小さなリュックに遺骨を入れて買い物に出かけた。そこで偶然、匠人君と出会った。
匠人君は、「買い物なんかより、僕と一緒に遊んでいる方が楽しいに決まってる」と、持ち去ってしまった。(子供の感性って素晴らしいですね〜)
その後も時折、「結人とお泊まりする」と、リュックを自宅に連れて帰るようになった。
遺骨は仏壇に戻ったが、小学校の卒業式は、匠人君がリュックを背負って出席。
友人たちは、その後も命日やお盆など、節目ごとに結人君の家に集まった。成人式の日は、居酒屋で酒を酌み交わした。「結人は酒飲みやろうな」・・・この時のリュックの中身は、缶チューハイだった。
今年の夏も、結人君の家にみんなが集まった。あの時のまま変わらず、無邪気で明るく、自分の子どものようだ。
夜になると、送り火をたき、結人君を空へと見送った。
この子たちに支えられて、生きてこられた・・・亜紀子さんは、その様子をそばで見つめていた。
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なんと胸の熱くなるお話でしょう!子供の純粋な心に感動しました。
何年たっても、結人君は匠人君やお友達、そしてご両親の心の中でイキイキと生きていることでしょうね❤️
⭐️今日は9月最後の金曜日。そして今夜は中秋の名月。秋の夜空を身あげましょう。そして実は私、10月1日〜3日、北海道に行ってきます‼️なので次の投稿は10月4日(水)になります。本当に久しぶりの旅行、楽しんできま〜す。
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