いい話

「許す」ということ〜「汝の敵を愛する」ことの意味〜

今日はとても真面目なブログです。(いつもは何なの?笑)

以前にもブログに書いたことのある、シスター渡辺和子さん。私の尊敬する女性のひとりです。

2016年12月30日、89歳で亡くなられている。

陸軍教育総監だった渡辺錠太郎氏の次女で、4人きょうだいの末っ子。

9歳の時、1936年2月26日、陸軍の青年将校らによるクーデター未遂事件で、父が殺害される場面を目撃する。歴史に残る1936年2月26日の「2・26事件」だ。

何ということ! 9歳の女の子の胸の内はどんなものだったのでしょう!

以下はシスター渡辺の著書「面倒だから、しよう」より。

「私は、9歳の時から親の仇(かたき)を持った人間です。30数名の陸軍の青年将校と兵士が朝の6時前、トラックで家に乗りつけてきました。父が機転を利かせて私を座卓の陰に間一髪で隠してくれたのですけれども、将校たちは軽機関銃を据えつけて、私の目の前1メートルのところで父を惨殺して帰りました。血の海の中で、父は死にました。その寝室には、父と私しかいませんでした。かくして私は“父の最期を看取った、たった一人の人間“になりました」

9歳といえばもう何でも分かる年齢。どんなにショックだったことでしょう!

「その、父を殺した人たちを憎んでいますか?とよく聞かれました。その度に私は、『いいえ、あの方たちにはあの方たちの大義名分がおありになったと思いますので、お恨みしておりません』と言っていました」

シスターになられて、聖書の教えの「汝の敵を愛する」ことを実践しようとしておられたのですね。

ところが、シスターが修道院に入って20年ほど経った頃、あるテレビ局に、2・26事件の殺された側の生き証人として呼ばれた。

そこには、お父様を殺した側の兵卒が一人、同じくテレビ出演のために呼ばれていたと言うのです。

何という残酷なこと。びっくりされたでしょうね〜

でも、シスターという立場上、平静を装っておられたのではないかと推察します。

殺した側と殺された側・・・凍りついたような雰囲気の中、運ばれてきたコーヒーを「これ幸い」と口元まで持っていったシスター。

ところが不思議なことに、どうしても、どうやっても、そのコーヒーを一滴も飲むことが出来なかったというのです。

その時、シスターは「自分は本当は許していないのかもしれない」と感じ、つくづく「敵を愛する」ということのむずかしさを味わったと。

「人間は弱いものです。口ではきれいなことをいっても体がついていかないことがあります。それを体験できたということは、恵みだったと思います」

それを恵みだと捉えられるシスター、さすがです。

「それからは、『シスター、許したいのですけど許せないのです」と言う人に、『わかります。私にもそういう思いがあるのですよ』ということが言えるようになりました。

きれいごとを言っていても許せないでいる自分、弱い自分と真摯に向き合われたのですね。

「今、もし私が聖書の中の『汝の敵を愛せよ』ということを実行するとすれば、せめて、相手の方の不幸を願わないこと。それしかできないと思うのです」と。

そして、「相手を許すことができない自分を責めないで、そんな自分を許してあげましょう」・・・

シスターの柔和な笑顔の奥から、そんなメッセージが聞こえてきました❤️

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