一昨日の1月17日は阪神大震災の日。もう26年も経ったのですね。
1995年1月17日午前5時46分、兵庫県の淡路島北部を震源として、マグニチュード7.3 の地震が発生!
関西から東京に嫁いできて、20年目の冬でした。
関西には70代の両親と、90代の祖母、そして親戚の叔父、叔母、従兄弟、友人たちがいる・・・
テレビのニュースで報じられるのは、分断された高速道路、崩壊したビル、押し潰された家屋、大火事・・・
「あ〜助かっていないかもしれない」・・・電話は一切通じず、不安でいっぱいだったことを、昨日のことのように思い出します。
いろんな人が、いろんな思い、忘れられない思いをしたことでしょうね〜
1月18日の朝刊に、遺族代表として追悼の言葉を寄せられたのは加賀翠さん。65歳。
「震災で6歳の長女(桜子さん)を失った。
加賀さんは日本舞踊の師範だった。多忙な加賀さんに代わり、祖父の幸夫さんが遊び相手。幼稚園から帰ると『じぃちゃん』と抱きついた。
あの日も、幸夫さんの隣で眠りについた。
1995年1月17日早朝。窓を破って外に逃れた加賀さんの目の前で、自宅の1階がつぶれていた。
屋根の下敷きで、隙間から声が聞こえました。父は『チビやられたかもしれない』と言いました。
近所の人の助けを借り、助け出した男性が桜子さんを抱き上げ『まだ温かい』とどなった。顔をのぞく間もなく病院に運ばれていった。夕方、助からなかったと聞いた。
夢で出会ったのは、その数週間後だったろうか。
『寝ている時間に桜子と共に生活できる。この考えは私の気持ちを安らかにしてくれました。それは私にとって非常に幸せな時間でした』
2009年、幸夫さんが肺がんで亡くなった。
『桜子を殺した』と悔やんでいたじぃちゃん。『天国でやっと一緒やなぁ』と心の中でつぶやいた。
それ以来、桜子さんは夢にはっきりと出てこなくなった・・・」
不思議ですね〜 桜子ちゃんも、自分を責めて苦しんでいるおじぃちゃん、大好きなおじぃちゃんのことがずっと気になっていたのかな〜 天国で会えて、やっと安心したのかもしれませんね。
6歳の可愛い盛りの桜子ちゃん、「じぃちゃん!」と抱きついてくる桜子ちゃん、可愛くて可愛くて目に入れても痛くないほどの桜子ちゃん。
隣で寝ていたおじぃちゃんは、自分は助かって、その桜子ちゃんを助けることができなかった・・・
どんなに辛かったことでしょう!
どんなに自分を責めたことでしょう!
どんなに「代わってやりたい」と思ったことでしょう!
この記事を読んで、一番に幸夫さんの気持ちを思い、胸が苦しくなりました。
お母さんの加賀さんを初め、まわりの皆さんの悲しみはもちろんですが、これほど「自分を責め」「後悔する」、辛い状況は他に無いのでは無いでしょうか。
災害や震災のかげに、どれほどの人々が、どれほど辛い思いをしてきたことか・・・「それでも生きていく」のが人間なのだな〜。
でも、きっと天国でまた会えている、二人でニコニコ笑い合っていると信じます❤️
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