教育

担任の先生との出会い〜1人の先生に救われて〜

大学生の湊祐太郎さん(18)にとって、小学校の6年間は消したい記憶だったという。

【チョークの音も、「手を洗おう」という貼り紙も、耳や目にうるさくて、掃除道具入れに隠れて出てこなかったこともある。(自分ではどうしようもなかったのでしょうね〜)

同級生にはいじめられた。先生たちには「だだをこねない!」とよく叱られた。

でも、5年生で担任になった柏木伸一先生(39)は違った。

教室に入れないでいると、校舎4階の角にある小さな算数教材室に居ていいと言ってくれた。そして1メートル四方の黒板と引っ張り出してきて、「思ったことを何でも書いていいよ」と白いチョークをくれた。

何を書こうか。いじめてくる同級生の名前を書いた。「ふざけんな」「おれだけ悪者にされている」・・・。

思いつくまま手を動かすと、端から端まで、すき間なく埋まった。

柏木先生は「すごいね。こんなにたくさん書けるんだ」と、なぜかほめてくれた。(ほめられるとは思っていなかったのでしょうね)

それからは、卒業するまでそこが居場所になった。我慢の限界が来ると逃げ込み、やり場のない怒りを黒板にぶつけた。静かな空間にいると、気持ちが落ち着いた。

柏木先生には、湊さんが「気持ちをどうしていいか分からず苦しんでいる」ように見えた。当時、教師7年目。「しんどい子の側に立ちたい」と思っていた。

卒業から4年がたった2019年3月のことだ。

「転勤になります。一度、学校に来ませんか」。柏木先生からメールが届いた。

「見せたいものがある」と、教材室に連れて行かれた。

柏木先生は奥の壁から、立てかけてあった黒板を持ってきた。濃緑の黒板をびっしり埋めた白い文字が、あの頃のまま残っていた。

「うそでしょ。何で残っているんですか?」

「祐太郎さんに区切りをつけてほしかった。消すか?」

黒板消しでこすっても、こびりついたチョークはなかなか消えない。脳裏には忘れ去ったはずの小学校の記憶が、嫌でも浮かんできた。

おれ、何であんなに怒っていたんだろう。誰にも負けたくなかったんだよな〜。

そばにたつ柏木先生は笑顔でうなずいていた。

文字を全て消すと、妙に頭と胸がスッキリしてきた。あの6年間の記憶を無理やり消すのは、もうやめよう

教材室を出て、柏木先生と階段を降りる。その時やっと小学校を「卒業」できた気がした。】

いい話ですよね〜

「居場所がある」・・・これは人の幸せにとって、なくてはならないことだと思うのです。

私は、「居場所」とは、「人が集うコミュニティ」なのだと思っていました。そして、私の仕事の真の目的は「居場所を作る」ことだと自負していました。

湊祐太郎さんの場合は、小さな部屋の黒板とチョークが、彼の「居場所」だったのですね。

そして、そこには柏木先生という、彼を受け止めてくれる存在があった・・・

「居場所」の形はいろいろあっていいんだな〜と、ほっこりした気持ちになりました❤️

大八木京子さん、カッコいい‼️前のページ

ある人からのプレゼント〜私の存在意義〜次のページ

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP