今日は終戦記念日。少し重いテーマです。
このタイトルは8月12日の深夜に放送されたNHKスペシャルの番組名。たまたまチャンネルを合わせたらやっていました。
見ている間に目が釘付けに。
今までに、これほど悲惨な映像を見た記憶がなかったので、しばらく茫然としてしまいました。
原爆投下のあとの広島、長崎の惨状。
道に転がる死体。全身やけどの子供たちの映像。
身体中の皮膚が焼けただれている。顔も焼けて目も鼻も無い・・・そんな人たち。
焼け残った洋服のもようと髪飾りで、母親と判別した黒こげの遺体。その前で立ち尽くす女性の写真と証言。
池のまわりに多勢の人が水を飲みに集まって、そのまま死んでいったという絵と、その体験談・・・
娘たち、孫たちにも見せたい。でも、あまりにも悲惨な映像には抵抗を感じてしまいます。
なぜ、アメリカは危険を知った上で原爆を使ったのか?
なぜ8月6日広島、そして続いて8月9日長崎に、2度も原爆が落とされたのか?
広島に原爆を落とされた後も、無条件降伏を受け入れようとしなかった日本陸軍。
日本政府が原爆の威力を認めるには、さらにもう1発落とすことが必要だと考えたアメリカ。
2度の原爆投下とソ連の参戦によって、やっと無条件降伏を受け入れた日本。
それを決めた御前会議の様子。
「最後の決断をされた昭和天皇は、白い手袋で顔を何度も拭いて、泣いておられた。」と。
その時が来るまで、そんな悲惨な状況になるまで、誰にもどうにも出来なかったのでしょうか?
「何の罪も無い一般の市民をこんなにひどい目に遭わせることになる」ということを、誰も想像できなかったのでしょうか?
国を動かし、歴史に残る決断とは、そういうものなのでしょうか?
その映像の凄まじさと合わせて、何ともやるせない気持ちにかられました。
最後に、原爆の被災地で不思議な現象を見たという話がありました。
濱 清さんという、当時治療に当たっていた医学生の体験談です。
長崎では、被爆者の多くがクリスチャンだった。
ひどい火傷の負傷者にも、ろくな薬もなく、治療もままならない。痛みと高熱にうなされながら、次々に亡くなっていく。
そんな中で、お互いに励まし合い、助け合い、夕方になると被爆者が皆でお祈りを始めたというのです。
「こんなひどい目に合わせた神に、なぜ祈るのか」最初は正直、腹が立ったといいます。
でも、そのうち理解したと。
「それは、人間が犯した罪に対する、謝罪の祈りだった。
全てを失った人間の、最後の、最高の尊厳を見た」
・・・と。
人間って、過ちも犯すし、どうしようもないところもあるけれど、根源的には崇高なものを持っている、すごい存在なのだな〜。
そう、信じたいと思いました。
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