昨日の新聞で、今回のコロナの危機的状況下でのリーダー達(各国の首相や知事)の、人民からの受け入れられ方が取り上げられていました。
官僚が書いた原稿をそのまま読む安倍首相からは「生の声」として伝わってこない。
逆に、今回目立ったリーダーに共通するのは「弱さ」の連帯だと言うのです。
それは、ドイツのメルケル首相とアメリカ・ニューヨーク州のクオモ知事。
メルケル首相がなぜあんなに共感を得たかというと、「私も心配。私も弱い」という視点から連帯を訴えたからだと。
演説でも、感染者や死者の数字について、
「これは数字じゃない。具体的なお父さんであり、お母さんであり、おじいちゃんの話である」
と語る。
あ〜ジーンと来ますね〜
この言葉には「血」が流れていると感じます。クオモ氏も同様と。
自分たちの痛みと同じところに立っていると思えるような、弱さが見えるリーダーが共感されているのだと。
「弱さを隠さない人間こそ、強さを持っているのです」
「首相は自らの弱さと向き合い、『生の声』を届けるべきです」
とのコメントに、大いに共感しました。
自分と向き合い、自分の弱さを認めている人は、人間的に大きな人なのです。
「人は弱い。もしも強いと思われる人間がいるとしたら、それは誰よりも自分の弱さを知っている人間だ」
これは、鉄の女と言われたイギリスの元首相、マーガレット・サッチャー女史の言葉です。
この言葉に出会ったわけには、深いものがあります。
またの機会に書いてみたいと思っています。
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