3月20日は地下鉄サリン事件から25年。狂気的なオウム真理教の事件で、どれだけの人が、どれほどの苦しみを背負わされたことでしょう。
テロの巻き添えとなり、重い後遺症と闘ってきた浅川幸子さん。25年を目の前にした3月10日、サリン中毒による低酸素脳症で亡くなられた。56歳だった。
幸子さんの兄一雄さんが、感極まって泣いておられる会見を見て、改めてその25年間の重さを感じました。重い症状の幸子さんを「うちでみてあげようよ」とおっしゃったのが一雄さんの奥様だったと言うお話にも、ジーンと来ました。まわりの人たちはどれほど献身的に支えて来られたことでしょう。
また、事件の当日に亡くなられた、地下鉄霞ヶ関駅の助役だった高橋一正さんは当時50歳。その奥様の高橋シズエさんは、積極的に前面に出て関わって来られた、テレビでもよくお見受けする方。48歳だったシズエさんも73歳になられる。
そのシズエさんを支えてきたのが、長女の美雪さん。当時23歳で作業療法士として働き出して1年目。事件のあとも、「起きたことを受け入れられていなかったし、触れられたくなかった。家族それぞれが父を思いながら、別々に日々を過ごしている感じでした」と。お母様とは真逆の関わり方。
あぁ〜、分かる気がします。辛い現実は見たくないですよね、きっと。
でも、お母様を寂しくさせないようにと、一緒に旅行したり、好きなミュージカルを観に行ったり、、、
お母様は支えられますよね〜
そんな美雪さんを、シズエさんは
「私はいろんな人に話を聞いてもらえて、胸の内を何度か吐き出して来られた。でも美雪は誰にも話さない。事件の時のままで、この子は辛いのではないか」と。
そして美雪さんは、「少しずつ母の活動に関わり、少しずつ勇気をもらい、少しずつ父のことを話せるようになりました。長くかかったけれど」と。
それぞれの想い、それぞれの時間、それぞれの人生、、、
改めてオウム真理教の恐ろしさ、そして、加害者となって死刑に処された若者たちのことを思いました。みんな初めは純粋な思いから始まったはず。
松本被告の死後も教団の名前を変え、その活動は活発で、新たにそこに身を投じている若者たちがいると聞くと、何とも言えない気持ちになります。
いつの時代にも、空虚感にさいなまれ、自分を見失い、自分の居場所を求めて苦しんでいる人たちがいる。
側にいる誰かが、「その人に添い、話を聞いてあげる」ことが出来たら、間違えた選択をせずに済むのでは?
、、、何か、出来ることは無いのかと考えます。
微力ながら、まずは「出会う人たち、ご縁のある人たちに添って、話を聞く」ことからかな〜
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