ずいぶん前の、確か、家庭画報に載っていた記事です。石澤潮路さんという方の投稿。美容院で読んで、あまりに感動的だったのでコピーさせてもらって、ずっと手元に持っています。宝物なんです(^^)
「優しさについて〜私にとって限りなく優しかった出来事」
、、、少し長いですが、読んでみて下さい。
私の父は長い間、舌ガンから始まって次々に転移するガンの摘出手術を繰り返していた。しかし肺に転移してからは、ついにガン治療の手だてもなくなってしまった。またその間に三度脳梗塞を起こし、全ての能力は徐々に低下していった。
「父は最期まで在宅で。みんなで伴走していこう。」そう決めた。
ところが突然、四度目の脳梗塞に見舞われた。これは父の「外から入ってくる言葉を理解する能力」をみごとに破壊した。すなわち父は自分の身内に囲まれていながら、いきなりタガログ語の家庭にほうり込まれたような状態になってしまったのである。
父が一生懸命訴える。私たちはわかるから答える。それを聞いて父は「ダメだ、わからない」と下を向く。
しかも日に日に混乱し、ずっと飲んでいた薬は「これは毒だ、毒を飲まされる」と手で払いのけ、食事は口にしない状態になっていた。みんな困り果てて、苦労した。
そんな中、ある日の昼食に、ボンファムを作った。実のところ父はポタージュのスープはどれもそんなに好んでいなかった。噛むものが好きだったのだ。でも、一口でも飲んでくれたらどんなに体にいいだろう、そう思って、祈るような気持ちで食卓にのせた。
父が食卓にゆっくり来て座り、私は向かいに座った。一口、二口とスープを口に運んだ。ゆっくり飲み込んだ。そして両手をひざに降ろしてしまった。
(やっぱり嫌だったんだな)そうおもったときだった。
「すみませんが」父は言った。「はい」と返事すると、父が私の顔をまっすぐに、それはそれは真剣に見つめていた。
そしてゆっくり、とてもゆっくり言った。
「私には潮路という娘がいます」
潮路は、私だ。この私だ。あぁ、父は目の前にいる私が誰なのか、もうわからなくなっていたのか。
「お願いです。潮路という娘をここに連れてきてください」
そして父は言った。
「このごはんがとってもおいしいので、潮路に食べさせてやりたいのです」、、、
スープはそれ以上手をつけなかった。
私は、父と生きてきた日々すべてに、ひたひたと心地よい温かなお湯が満ちてくるのを感じた。あれは私にとって、永遠に「優しかったなぁ」と思う出来事であり、同時に深く深く感謝する出来事なのである。
何度読んでも泣けます。
ガン治療の手だてもなく、脳梗塞を繰り返し、全ての機能が低下していく父親を「最期まで在宅で。みんなで伴走して行こう」と決めた家族。
日に日に弱っていく父親。何も食べようとしてくれない。それでも体にいいから一口でも食べて欲しいと、昼食に手間をかけてポタージュスープを作る娘。
娘の顔もわからなくなっていても、おいしいものを娘に食べさせてやりたいと、娘のために手をつけずに取っておこうとする父親。その愛情の深さ。
どれを取っても素晴らしい‼️
人はこんなにも温かくて尊い存在なんだ〜
気持ちが大きく、豊かに広がるのを感じます。
その後のことはわかりません。でも、潮路さんとそのご家族が感じた、お父さんとの幸せな体験、そしてその感覚は、永遠に消えることは無いと信じます。
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