考え方

「親になろうとしてごめんなさい」

昨年、目黒で起きた結愛ちゃん虐待死の事件。

想像するのも恐ろしい、辛い事件でした。記憶に残っている方も多いと想います。

今年の10月15日、虐待死させた父親に懲役13年の判決が出ました。

虐待の事件にしては異例の厳しい判決とのことですが、結愛ちゃんのことを思えば、それでも物足りない位の気持ちで、ニュースを見ていました。

昨日のフジテレビのノンフィクション番組で、被告の父親の視点から取り上げていました。

「なぜ、彼がそこまでひどい虐待を繰り返したのか」、、、そこに興味を持った私は、画面に見入ったのです。

彼の生い立ち、その経緯、高校や大学の同級生、就職先の上司、兄と慕っていた人からのコメント、、、

それらを通して見えて来たのは、彼がごく普通の人間であること、そして彼の複雑な心理でした。

「実子が産まれて、再婚相手の義理の娘が邪魔になったから」といった単純な動機では無かったのです。

彼をよく知る人の、共通する人物像は、

「人の面倒見が良く、人のために何かしてあげたい人」というもの。

これは意外でした。自分のことしか考えていない、自己中心の人に違いないと思い込んでいたのです。

バスケットをやっていた学生時代の友人も、人の嫌がることも進んでやるような人だったと言います。

人のためにという気持ちが根底にあったから、結愛ちゃんの母親との結婚に至ったのだというのです。結愛ちゃんのために父親が必要だろうと。その時の気持ちは、純粋なものだったと思います。

では、なぜあんなひどいことが出来たのでしょう。

そこで浮かんでくる、もうひとつの彼の人物像は、

「人にどう思われるか、人目をとても気にする人」

と言うことでした。

そうか、これなのか‼️

これが結愛ちゃんを死に追いやり、彼の人生を狂わせたのか‼️

父親になった最初の頃は「ちゃんと歯磨きしなさい」とか、普通の注意だったようです。父親としてきちんと教えてやろうという気持ちだったのでしょう。

ところが、子供はそんなに簡単に思うようにはならない。

人目を気にするあまり、

「良い父親だと思われたい」

「いい子に育てないと、血が繋がっていないからと思われるのではないか」、、、、

と、過度のしつけから虐待へとエスカレートしていったと言うことです。

自分の就職先がうまく見つからないこともあって、うまく行かない父親業に、ますます焦りや苛立ちを感じ始めたと彼自身が言っています。

飲みに行く先などでは、明るく振る舞い、良き父親であり、頼りになる人間であることをアピールしていたようです。フリをしていたのですね。それではますます自分が苦しくなる。

「誰から見てもいい家族になりたかった」

その思いとのギャップでどんとん増してくる苛立ちが、抵抗出来ない、弱い存在へと向けられたのです。

ちょっとしたボタンのかけ違いから、鬼のような虐待へと、その行動が止められなくなる、、、

事件当日、結愛ちゃんの異変に気づいて警察を呼んだのは、その父親本人だったと言います。

人間って本当に悲しい

以下は、裁判を傍聴した同級生のコメントです。

「もっと気楽に子育てしろよ、そんなに頑張らなくていいよ、と誰かが言ってあげられたら。幸福になるタイミングはいくつもあったのではないかと思うと、本当に切ないです。」

そして最後に、裁判で「結愛ちゃんに何か言いたいことは?」と聞かれて彼が言ったこと、、、

「私が親になろうとしてごめんなさい」

結愛ちゃんは二度と返って来ない。

この結果は悲し過ぎます。

でも、彼のような心理になり、同じような行動に出てしまう可能性が、100%無いと言い切れるでしょうか⁉️

人間の弱さ、危うさを突きつけられた気がしています。

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