千葉県郊外の住宅街にある一軒家。外壁には「ひろせホーム ファミリーホーム」と大きな看板が。
夕方、子どもたちの元気な声が響く。「ただいまぁ!」「ねぇタカちゃん、聞いて!」。
タカちゃんとは、廣瀬タカ子さん、73歳。夫の正さん(77歳)と、さまざまな事情で親元で暮らせない子どもたちを育てて31年。これまでに迎えた子は約70人!
2005年、里親仲間らと「里親ファミリーホーム全国連合会」を立ち上げた。2009年にはその後の活動が実を結び、国が定める事業になった。その数は49カ所から2019年には417カ所に広がったという。
(すごい継続力と努力ですよね〜)
その原点は少女時代にある。父親の再婚で、叔母夫婦のもとへ預けられた。「血のつながりって何?私には居場所がない」。自暴自棄になって自殺未遂。生きる意味問う中で、いつか里親になろうと考えるようになった。「私なら子どもの気持ちが分かるかもしれない」と。
看護助手をしていた正さんと20歳で結婚、3人の子どもを育て、40歳を過ぎて初めて迎えたのは、妊娠中の16歳の少女。生まれた赤ちゃんが次の里子になった。
「どんぶらこ、どんぶらこ、と子どもが来る、桃太郎みたいに」と笑うのは夫の正さん。「来た子を育てる。続けてきたのはそれだけ。大げさなことじゃない」とおっしゃる。
(なるほど、自然体だからこそ続けて来られたのかもしれませんね〜)
3人の実子のうち、2人が里親に。「巻き込んじゃいました〜」と。
(親の姿勢を見て育っているのですね。素晴らしい!)
気を引きたくて嘘を重ねる中学生、しょっちゅう家出する高校生・・・行き場の決まりづらい子を率先して預かってきた。
そうした子がいかに多いかを知り、思いが膨らむ。
乳幼児をつきっきりで世話する一方で、実の親のもとへ戻れるように心を砕く。精神的、経済的な理由で育てられない親には、「落ち着くまで大丈夫。待ってるからね」と言葉をかける。
(子どもを預かるだけでなく、その親にまで心を配る・・・その温かさに、どれだけの親御さんが救われたことでしょう)
ホームで数年暮らし、物心つかないうちに親の元へ帰る子もいる。「私たちのことは忘れていいの」。
「深く愛された経験が子どもに宿ればそれでいい。強く生き抜く力になるから」
(この言葉には心底、感動してしまいました❤️)
ホームが「大きな家族」として、どの年代もつながって支え合うのが理想の形。児童福祉と高齢者福祉を両立できる力があるはず。夢物語みたい?
「制度化の時も、最初は笑われました。
念じて動けば叶う!そう思って、生きています」
すごいな〜ホントにすごい‼️
こんな人たちが、日本のどこかで、まわりの人々を支えて生きているんだな〜。人ってすごいな〜と、改めて感動しています。
私にも、何かできることがあるかしら?^_^
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