いい話

東電の社員だった私たち〜なぜそこまで?〜

先日、ETV特集でやっていたのは「東電の社員だった私たち」。

たまたまテレビを見ていて、驚きました。

10年前、原発事故の対応のため福島に送り込まれた東電の社員たちは、賠償、除染などの現場で、会社が奪ったものの大きさを改めて思い知る・・・そこから、人生を大きく変える人も現れはじめたというのです。

10年前、原発事故のあとの福島に入って避難者と直接、接した東電社員の皆さん。会社の矢面に立たされて、どんなにしんどかったことでしょう。

「被災した方達の心に寄り添えるまでには、時間がかかりました」と語る。そうでしょうね〜

一緒に力を注いでいた同僚が自殺したり、83歳で自宅に戻ることなく避難先でその生涯を閉じた女性がいたり・・・そんな中で、避難している人達との繋がりを大事にしてきた。

福島に移住し農業を始めた人。風評の払しょくのため農産物を販売する人。50歳で東電を辞めて福島に戻った人。月に1度、6時間かけてバイクで福島に通い、仮設の草刈りを2時間やってそのまま帰る人・・・

避難指定区域は、未だに年に数回しか自宅に帰れない。草ぼうぼうの自宅の草刈りをかって出る。怒られることを前提で通い続ける・・・

「お会いしたいんですよ」「少しでも役に立つならやりたいんです」・・・その真摯な言葉に胸が打たれます。

会社としての責任であって、個人の責任ではないのに。

会社のせいにしておけば、元社員だからといって責任を追う必要は無いのに。

なぜそこまでやるのでしょうか???

福島の現場に入り、被災した人たちと触れ合う中で「少しでも役に立つなら」と行動に移す人が、ひとりやふたりではない・・・そのことに、何とも言えない感慨を覚えました。

「はなはだ厚かましいことを言えば許してもらいたいです。でも、まぁ無いだろうなと。自分の身に起きたことと思えば、とても許せる気がしないです。」・・・なんて謙虚な在り方なのでしょう!

「人間っていいな〜」・・・純粋に、単純に、そう感じました。

人として、そんな力をみんな持っているのだと信じたいです。

「以前は、電気が使えて便利になることは良いこと。人の幸せに貢献する仕事と思っていましたが、人はかえって不便な分だけ、支え合っているのですよね。」・・・この言葉も心に残りました。

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