難波千栄子さんといえば、「奥ゆかしくて情緒たっぷりの、本物の大阪弁(難波弁というのでしょうか)を話す人」というのが、私の印象。
関西育ちの私は、いわゆる「関西弁」のイントネーションにはかなりうるさいのです。(偉そうに〜笑)
テレビなどを観ていても、役者さんの微妙なアクセントやイントネーションの違いに、なんとも言えず気持ち悪くてモゾモゾしてしまう・・・
そんな中で、難波千栄子さんの大阪弁は、品があって、柔らかくて、ずっと聞いていたくなる・・・ちょっと特別な存在だったな〜という記憶があります。
亡くなられたのは1973年というから、もう知っている人の方が少ないですよね〜笑
亡くなられたのが66歳だったとのこと。今の私より年下だったんだ〜 これにはびっくり‼️ もっとず〜っと年上だと思っていた〜(勝手な解釈です〜笑)
その難波千栄子さんがモデルのN H Kの朝ドラが「おちょやん」。興味があって時々見ています。
ドラマを見ていても、幼い頃からかなり苦労してきた人なんだな〜と。
インターネットで調べてみたら、その生い立ちは、例えば・・・
「家の事情で小学校に行けなかった浪花千栄子は字が読めない。奉公先で包み紙の新聞紙で文字を勉強するのだが、勉強しているのが主人に見つかると叱られるので、包み紙をトレイに持ち込んで文字を覚えた。トイレだけが安住の地だった」
ハァ〜すごい!苦労してきた人なんだ〜
その後も、とんでもなく波乱万丈の人生だったとのこと。
なるほど、だからあの存在感だったのか・・・
だからもっと年上に思えたのか・・・
だから他を寄せつけない特別感があったのか・・・
あの、奥深くてなんとも魅力的な難波弁の由来は、難波千栄子さんの人生の厚みから来るものなんだな〜と、やけに納得したことでした。
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