ここに、何度読んでも鼻の奥がツ〜ンとしてしまうシーンがあります。
やはり、シスター渡辺和子さんの本の1ページです。
「50年以上経った今も忘れられない母の後姿・・・それは、私が修道院に入って数ヶ月後、初めての面会が許された後、一人で門を出て帰っていった時の母の後姿です。
30歳で修道院に入った時、母はすでに70代の半ばで、一人で出かけると時に方角を間違えることもあって、外出には私がいつも付き添っていました。
その母を残しての入会。付き添いもなく一人で会いに来てくれた母の手には、柄の長い空色のパラソルがしっかりと握られ、それをコツン、コツンと突きながら門を出てゆく母の後姿に、見送る私は涙を抑えることができませんでした。
走っていって、パラソルの代わり手を引いてやりたくても、それが許されない悲しさ、それをかみしめている私に、母は一度も振り返らずに帰ってゆきました」
娘の決断を応援してやろうと決めたお母様の、悲しくも強い決心が伝わってくるようですね〜 なんとも言えず胸がいっぱいになります。
「その後姿には、70年余りの間、母が耐え忍んだに違い無い数多くの苦労が刻まれているようで、母の背は、以前よりいっそう丸く、小さくなっていたように見えました。
修道院に入るまでの7年間、家の経済を助けるために、私は働いていました。毎月の給料を封も切らずに渡すと、母は押しいただいてから、まず仏壇に供えるのが常でした」
事情はよく分かりませんが、封も切らずにお給料を全部渡していた娘の健気さ。そして、その娘が修道院に入ったあとのお母様の心細さを想像してしまいます。
「入会前の夜だったと思います。風呂場で私の背中を流してくれながら、「結婚だけが女の幸せとは限らない」と呟いた母の言葉が、母の後姿を集約していたのかもしれません」・・・
シスター渡辺和子さんのお母様といえば、2・26事件でご主人を無惨な形で亡くされた方。その後4人のお子さんを、どうやって、どんな思いで育てられたのでしょう。
想像を絶するような辛い過去の体験、そして大事な末娘が手元から離れていく現実・・・それは身を切られるような寂しさではなかったかと推察します。
それでも、娘の決断をサポートしてやろうという、年老いた母の姿こそ、究極の愛情ではないか・・・今、そんなことを思っています。
この記事へのコメントはありません。